「顔を上げて歩けなかった」


 不登校になって間もない頃、外を歩く時に顔を上げられずにずっと足元を見つめて歩いていた時期がありました。他人に見られることも、誰かと目が合うことも、すごく怖かったです。

 今思えば、ずっと下を向いて歩いてる方がよっぽど変で悪目立ちしていたと思いますが、前を向くことは出来ませんでした。体は緊張状態で固まって力が入りすぎていて、外に出ることは酷く疲れることでした。


 中学生になってからは、地元で同年代の子達に見られてしまうことが本当に怖くて、中学の制服姿を見つけると全速力でその場から逃げていました。もし小学校の頃の同級生に見つかったら、また「気持ち悪い」とか言われるかもしれないと思って、ひたすら怖くて仕方ありませんでした。


2011,06,12/2015,07,14記


「死にたい」


 死にたいと思ったことは、あります。それがどの程度の真剣さだったのかは思い出せませんが「私はこの世にいない方がいい、死んでしまいたい」と思ったことは確かにありました。学校に行けなくなってからフリースクールに通い始める前の、小学6年11歳の頃だったかと思います。


 死にたかった理由は単純です。辛いことから逃げたかったから。

 生まれたときから家族や環境に恵まれぬくぬく育った私には、学校に行けなくなってしまったことは初めての強烈な辛い経験でした。辛さの出口なんて見えなかったし、永遠に続くような気さえしました。死んだほうがずっとマシだと幼い頭はそう考えました。


 ではどうやって思いとどまったのかというと、その理由も単純なもので「私が死んだら家族が悲しむ」と思ったからでした。父にも母にも兄妹にも祖父にも祖母にも、私が自殺したら悲しい思いをさせてしまう、だから死ねない、と。


 出口の見えない辛さの中で、生きてゆく決意をすることはとても絶望的でした。


 私は家族に当たり前に愛されて生きてきました。11歳の私は、その事を意識的に自覚していたわけではなかったけれど「悲しませたくないと思えたのは、無意識のうちに愛されていることを理解していたのでしょう。家族という存在はとても特別で重要です。


 死ななかったもう一つの理由は「死ぬのが怖いと思った」から。そう思えたということは、死に対してそこまで切実ではなかったのかもしれません。

 けれど、辛いけど死ぬことまでは出来ないというそんな理由であっても、ちゃんと生きていて良かったなぁと思います。


 イジメが原因で自殺してしまう子は、怖いと感じることすらかき消されてしまうくらいに追い込まれてしまっているのでしょうか。


2012,03,05/2015,07,14記


「死と隣り合わせ」


 大人になってから、神戸フリースクールの先生の講演を聞いた時に感じた話です。


 フリースクールに通っている、通っていた人に「死のうと思ったことがあるか」と聞くと、
みんな普通の顔をして「ある」と答えます。


 幼い頃はまだ人生経験が足りないため、ショックな出来事に対応する力があまりにも小さいです。
 だから、イジメや不登校によって自分の存在を否定されたり、自分自身で否定してしまった時、「自分はいない方がいい」と極端な考えになってしまうのかも知れません。

 子どもだから何も考えていないのではなく、小さな心をフルに使って色んな考えを抱えています。
しかしそれは、やはりまだまだ稚拙で、考え方が極端です。幼いということはある意味、死と隣合わせなんじゃないかと先生の話を聞きながら感じていました。


 「子どもに、よく死なないでいてくれたと褒めてあげてください」と先生は語っていました。本当にそうだと思います。

 死を選択しない限りは、嫌でも生きていくことが出来ます。生きていれば、どんなに絶望的だったとしても、自分がそう望めば必ずいいことがやってくると信じています。


 「強くなる」ということはどんなピンチもはねのけるハガネの心を持っていることではありません。
経験をして辛さや痛みを「知ること」が「強さ」なんです。死にたいと思うほどの経験をしても生きることを選択した人は、痛みを知っている強く優しい人です。それが消去法で選んだ道であってもです。


2012,01,19/2015,07,14記